第496話 年間修練のまとめ
- 2016/12/30
- 18:51
一年一年は、このようにいとも簡単に過ぎて行きますが、太極勁の上達は何故かこの年になって、中々上達しないのもはこの数年で確認しています。本日は仕事を兼ねた中国の太極拳複数の流派の数人の巨匠と色々な太極理論を再確認し、推手の確認も行いました。幸いねことで本日の太極門の推手では、私は一度も負けていません。
しかし、私が感じているのは、自分自身の方の力を少しでも保有していれば、これは基本的に太極理論で申している「頂」になります。そして、肩、らはの力を捨てると人間は大体、速く相手から離れてしまします。まあ、これは太極理論で行っている「丢」になります。少しでも手を軽くする際に、私達でも推手の初心者に押し出されてしまします。
しかし、哲学的な修練法と言うと、なるべく軽い手つきでどのような攻めにおかれても自分自身は可能な限り相手に従う状態です。これは、自分自身が少しの力で相手にをかわすことの中で、少しでも「頂」を感じれば、面子を捨てて自ら飛び出す勇気が必要になります。まあ、これは、通常の一人の人間としてはかなり難しいようです。
太極は元々、道教哲学から来たものですが、道教教えるの基本はどれも謙遜で自分自身を無の状態へもって行きます。当然、太極修練は自分自身の立ち位置を最も弱いところに位置付けすべきです。
皆様と一緒にがんばります。
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