第609話 内勁である太極となると
- 2017/04/25
- 11:50

私が住んでいる一都三県地域で、太極拳を教えている教室が4000個を超えているようですが、そして、空手教室となるとおそらく、10000個は軽く超えているのではないかと予測しています。四年程前に自分自身の太極拳研究会を立ち上げる為に社会リサーチをした結果ですが、おそらく、今日になっても変わらなく、もしかして、少し増えたかもしれません。
こう考えれば、各教室の宣伝も多種多様で実に面白いですね。わたくしが住んでいるアパートには何度も太極拳や気功のチラシが撒かれており、妻の携帯にも何度か太極拳教室の宣伝が来ています。わたくしは経営のために、個人的に経営に詳しい弟子の者に色々と相談を持ち掛けています。経営のプロからすると日本国での宣伝としては、チラシ作戦はほとんど意味がないようです。そして、わたくしが清掃のお仕事をしていた頃の経験からしても、チラシゴミはいつもすべてのゴミの高い割合を示していることから、チラシによる宣伝効果は少ないです。
しかし、宣伝はしたいですね。わたくしも多くの太極拳教室と同様、宣伝にかかっています。しかしながら、かなり独特な太極思想の元で展開している私の教室は独特な宣伝をしなければなりません。どのように宣伝をすれば良いかはいつも悩ましいことですね。
昨晩の自分自身の糾明の時間でこのようなことを考えていました。
事実、太極は一種の内勁を練習する武術であって、わたくしが皆様に太極内勁をある程度見せれば、興味を示す方がきっと現れます。そして、2年3年続く方はきっと、健康上のメリットが現れ、関節の痛みなども自然と消えていきます。4年間、わたくしの教室で練習続けている方のほとんどが健康面でプラスになっています。
これがいわば、内勁練習の結果ですね。もちろん、基本中の基本を徐々に体に覚えておく必要があります。ただ、動いているだけで楽しいという目的で太極の練習をしても結果が出ません。
世のどこの太極拳教室も、どこも自分自身の太極拳の動きは正しいというはずです。
内勁の習得としての太極は、人間の動きが絶対に完璧がありえません。わたくしも自分自身の動きが完璧ではないと、堂々と申しています。
より完璧に近い動きであれば、内勁も自然と備わって来ます。
これが私の教室の宣伝のポイントです。制定套路であろうが伝統套路であろうが関係ありません。肝心なのは、太極拳論が正しく理解した上で、それに沿っての正しい動きができるかどうか、これを自分自身の人生の一部として求めるかどうかにかかっていると思います。
太極は習得という言葉は永遠にありません。太極は自分自身の身体状態を変えていく長いプロセスです。
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