第668話 休日は写真撮影
- 2017/06/23
- 00:02

と、言いたいところですが、何事も気持ちの集中が大切であり、写真撮影も同様です。先日、カメラ専門店勤務の親友がドイツLEICAカメラの最上級の機械を買われたそうです。しかし、あのカメラが今、私の手に渡ってもおそらくよい作品作りにはならない気がします。写真機械の常識では、高級機械であればあるほど使いにくいことで知られています。今日でも所持している銀塩時代のハッセルブラッドの中盤機械ははっきり申すと、使いにくいです。写真撮影の最高級の機械はいたってシンプルであり、いかに写真家の意思を妨害しない機能しか搭載していないと言うか、ほとんど、機能がないです。
写真家の撮影は新聞記者と違い、実は失敗がかなり多いようです。今日の新聞記者なら多くの機能が揃っている機械で1カットごとの写真の成功率を上げ、撮影後もデジタル技術で写真の修正はいくらでも効くようですが、これは基本的に機械と端末が決める写真であり、人間の意思の写真はすべて、人間が決めます。
ところで、今日の世の中では本当に速度と便利が横行し、写真の世界ではもしかして指の機能しか存在していないような現象が今後も続くと思います。もちろん、今日の社会ではどの分野においても人間自体の存在がますます薄くなってきたことは事実です。人類が先進技術に依頼しすぎれば、人間の能力低下も当然のように避けられるものではありません。
私の休日の写真撮影と言えば、実は自分自身の心身に渡る機能をバランスよく使っていくことが最大の目的です。専門である太極は体と脳の連携によるバランスですが、古典的な人間が近代社会の技術との順応による統合は一人の近代人としても不可欠です。私もとうとう、ハイテックの機械を使うようになっていますが、時間をかけてもなかなか使い切れていません。まあ、これもデジタル技術と人間の意思の衝突ではないかと思います。
しかし、写真の世界でも今日になれば、成功率がすべてです。もちろん、修正によって、写真の出来も違います。但し、心で写真撮影をするなら、成功率もきっと低いでしょうね。心での写真撮影や絵描きは道教思想にかなり近いです。
孟子が申す何事も結果と利益を求めずにただ規則だけを守る考え方は、私達に目と鼻先の利益や結果を求めず、私達に更なる高いレベルの結果と利益を求めるべきだ主張しています。人生も太極も、世の何事も代わりがありません。
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