第669話 階級
- 2017/06/23
- 15:09
私の母国程に人類の階級に敏感な国がないと思います。かの10年間の文化大革命では、無産階級が資産階級を徹底的に圧倒しましたが、80年代の初頭よりは何故か、無産階級の人々が急に資産家の生活に憧れ始め、いかなる手段をも問わずに金銭を地に入れることに専念していました。私は政治にほとんど興味がなく、この年になって政治問題を考える体力もないですが、人間は生きている限り人様と接することは避けられなくて、回りの人々の考えについでいくことへの努力は人種や国籍を問わずに必要でしょう。
ところで、私は帰郷をすると最近は何故か母国のことで躓くことが多く、かなり答えづらい政治的な質問に対しては一切、回答しないようにしていますが、何故か近頃では中国の皆との一般的な会話にもかなり戸惑う感覚が続いております。そして、ほとんどの違和感は階級や資産感覚から来るものです。当たり前ですが、昔の我々の青春時代は貧しかったのですが、今日の中国の金持ちは我々が想像もできない程に何でも手に入れられるようになりましたね。まあ、階級の感覚が変わるのも当たり前でしょう。
私は、現在の太極拳教室の前も個人事業だったので、帰郷すると回りの熱心な人達からはいつもこのような声がかかります。「日本にも貧富の差があるでしょう。上流階級と商売をしなさい!」はい、拝金主義氾濫の国なら効率が低い商売は切り捨ての対象になるのは仕方がない話です。しかし、かつての世界先進国としての日本国の多くの社長さんは、激しい競争に打ち勝つために、どのような小さい商売も切り捨てしませんでした。日本国の多くのレストランは今日も夜の定食を提供しています。一部のレストランは夜の定食を昼間よりも若干、値上げしていますが、これは逆に、昼間の定食はいかにもサービスで提供している位のものだとの証明ですね。
確かに、資本主義経済の基本と効率は正比例になっており、心身とも余裕がある方にサービスを提供すれば、その商売も安定です。そして、世の中では、上流階級と接していればそのサービスもきっと豪華なものである固定観念も中々固いようです。例えば、一つの組織に芸能人が現れれば、その組織の人気は当然、鰻登りです。
しかし、道教の基本であることはもはや、しっかりした組織は必要ですが、その組織がもたらす利益や結果を求めることはなくてよいことです。それが何故、私はあまり連盟や法人に興味を示さないことの原因になります。
貧しい方々で、武術や道教的な生き方に憧れているならば、私は月謝がなくても教えます。心身の余裕、経済的な余裕がなくなってやめていくのも仕方がない話です。日本国には1億4千万人の人口があり、いつかは安定出来る方々とご縁で繋がると思います。
道教の伝承は元々、家から小規模で伝わるものです。道教継承の感覚は一対一で伝授するのがベストでしょうね。