第675話 時代と武術
- 2017/06/29
- 16:54
私が太極をはじめた頃、中国大陸はまだ外来文化がほとんど知らないと言っても過言ではありません。外来文化はどちらかというとあっという間に中国を占領したと感じておりますが、当時の外来文化と言ってもそのほとんどは香港や台湾の流行音楽やとテレビドラマでした。私と変わらない年頃の若者は皆、生涯の楽しみの目標を4スピーカーでダブルカセットテープレコーダーでした。一応、生涯もののつもりで壊れたらなんとか修理して使い続けて、可能なら一生涯まで持てることを願いながら品質のよい割高の日本製品を選んでいました。あわれなことにまもなく録音テープの代わりにCDがブーム。中国人も徐々に富みを手に入れ、テープレコーダーも処分する場面になりました。
香港、台湾の流行音楽やドラマが流行すると同時に何故か、中国大陸で武術も流行っていました。その理由はおそらく、かなりの割合の香港ドラマがエロチックな内容をチェックされる為、武術テーマのドラマばっかりが残されたと思われます。自由化が進み本格的な外来文化の到来で中国人の娯楽も進化し、より豊かな社会はもはや武術ブームを薄めてしまったと言っても過言ではないことは今日の現状です。
ここで当時の様子を少し分析している見ましょう。中国の仮想近代化が急ピッチで進む1980年代、すべては近代化がもたらす多様化へと化けてしまい、元々近代にできた制定武術の多様化もあの頃からはじまりました。最初は5種目などが人気だったが、武術の段位制度ができてからはもはや、套路の数で段位を決めると言っても過言ではないはずです。当時の中国武術高段位者は数百の武術套路を把握するのが当たり前で、今日では世界的な近代化が進んでいる中では中国武術の多様化はもはや増す一方です。
ところで、武術本来の仕組みは一体どのような物だろうかと聞かれると、私はあまりお答えできない程に困っております。昔の中国武術と言えばなんとか自分自身で一つの好めるものを選び、それを自分自身ほ誇りして修練を続くことで知られています。もちろん、途中での乗り換えは多々あろうかと思いますが、本当に武術好きの方でしたら生涯コロコロ修練武術を変えることをしないし、兼ねて修練するのもしっかりとした共通性を有するものをえらぶはずです。
幸い、日本の皆様の多くは古典的な考え方で武術にかかっています。日本人は最低レベルの常識を守れば、かなり道教的な考え方に近いです。本来のあるべき太極は日本人に最も適していると思います。