新天方夜譚物語第68話 三拳打死鎮關西
- 2015/10/29
- 02:16
多くの日本人の方がよくご存知の水滸伝物語の中の一章です。魯達は水滸伝の中でも力と言えば一二位を争う人物です。彼は当然、暴力的で弱そうな人間が強い渾名を自分自身で付けている屠宰屋のことを気にならないことで、殴りに行ったのでしょう。当然、物語の中では、その屠宰屋が貧しい女の人遊んだことに憤慨したと記述していますが、私の武人としての感覚はおそらく、屠宰屋さんが自分で付けた渾名が気にならなかったでしょう。
その渾名は「鎮関西」でした。
この渾名は日本国の関西地域と全く関係ないことは少しでも中国文学の知識があれば、問題なく分かりますでしょうね。
関という漢字は昔の中国では、城門というふうに説きます。日本の関東や関西もおそらく、中国文学の影響を受けられたと推測できますね。
確かに昔の人間は国を問わず、正義感に満ちていたようですね。西洋の上流世界もかつては決闘が流行っていまして、そちらか一方が倒れるまでは戦い続けていましたね。
中国も例外ではないでしょう。
しかし、私の見方では、魯達はただの正義感で怒りを爆発させたのではなく、功夫が全然様になっていないたかが屠宰屋や偉そうに「鎮関西」と自称させたからでしょうね。
私の親友が数人の若者と一緒に、週末にどこかでいっぱいを飲んで、水滸伝のランキングの真似をして遊んでいますが、私はこのようなお遊びは何も問題がないと思います。自分も若い頃に似た遊びを沢山しましたね。それこそ、若者が遊ばなければ誰が遊ぶのでしょうかね。
ところで、世界の武術家や武道家のページを見ていると時々、「鎮関西」に似たような渾名が目の当りにしますね。頭の硬さに関するもの、足の強さ…、手の早さと、実に色々です。しかし、そのyou tube動画を拝見すると、まあ、たいした速さでもないです…
当然、今日の社会ははっきり言って、正義感というものは忘れ去られていますね。ならば、古代人よりも堂々と「鎮関西」のような看板を平気で出すのでしょうね。水滸梁山の魯達のような道場破りがほとんど存在しないからでしょう。
当然、電光石火のような渾名の他に、全国各地で集中講座を展開するのも近代人のなすことです。まあ、商売なら常に努力することは何も非議できませんが、しかし、国中を巡回してまるで「鎮関西」や「鎮関東」のような気持ちになってしまえば、武人としての修行を怠ることになるケースが多いでしょう。
自分自身の強さを表現しないことが武人としての常識ではないでしょうか。中国語で、「山外青山楼外楼」という表現をよく使われますね。
ならば、自分自身で「鎮関西」のような渾名を付けるのは辞めましょうね。
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