第701話 戦闘原理
- 2017/07/26
- 11:24

所謂、手合いという者ですが、種目によって戦闘原理が違うはずですが、一部の偉い武術家が格好よく足を蹴り上げるのですが、蹴っている同時に体の軸がぶれているのならば、太極という状態武術を操る私もいけないであることがわかりますね。
道教系太極は基本的になんとか相手からの抵抗を分散し吸収することです。相手が他種武術であろうが、同様に道教系太極であろうが、基本的に対応が同じです。
しかし、ほぼ世の中の全ての武術の戦闘原理と違い、相手からの抵抗も自重も、太極上級者の体の状態は空気の抵抗でさえ吸収できるようになる為、このような体の作り方は当然、簡単ではありません。一定のこのような体の作りで楽しみを得た者は自分自身の体の状態を徐々に変えていくことを楽しみ続けるはずです。
しかし、このような状態の一定レベルまでの状態が習得していなければ、このような戦闘原理を人々に教えることも不可能です。だが、この状態を修練するのは続ける執念と正しい練習法、そして、感覚を伝える師がいなければ、こういう戦闘原理は当然、徐々に世から失っていきます。
確かに、太極の独特な戦闘理論を伝えていくことは大変に難しいと思います。太極戦闘理論をこのように説明している教える立場の人間はかなり少ないからです。間違いなく、太極のいわゆる戦闘理論が崩れ始めたのが太古の昔で、今日になって太極がおかしくなった訳ではありません。
昨今、中国のネットでは太極の色々な理論が乱れ飛び、太極はまったく使えなくなったことを、まるで自分自身とは無関係のように堂々と語っている者が多いですが、五代流派の中でも色々と戦闘理論がかなり崩れてきたからすると、これはもはや、誰々一人の責任ではありません。太極門のすべての人間に責任があり、この私も責任を逃れることができません。
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