第739話 俱要軽霊、尤须貫串
- 2017/08/23
- 01:00

張三豊太極拳論の冒頭の一句ですが、多くのネットが座右の銘にしています。ところで、実際に練習していくところで体のどこも力まずに動き、動いていく際に体のどの部分も高度な緩みの度合で統一されている体の状態はかなり難しいでしょう。
現実、今日の中国太極門の五代流派のかなりの弟子の太極拳を拝見していると、やはり体の部分的な力みが硬直が目立ちます。これに関しては、今日のわたくしはまったく驚かなくなりました。太極門ではかつて、「太極十人九不知」として知られ、形の見える体の使い方で太極を解釈することはもはや、避けて通らないでしょう。
人類は、形が見えないものを繰り返し行うことも、結果にたどり着かないものを継続して実行することも苦手です。わたくしは内面的な動きをしっかりと感じたのは16年間もかかりました。そして、今日になって私はまだ、自分自身の内勁を完全にコントロールすることができていません。
太極と他の武術の違いと言えば、突き一発と蹴り一発で成り立つ武術ではないことです。見える形としての用法でもありません。当然、この形での一定レベルの武術の形成も簡単ではありません。そして、人類は一定の武術の習得よりも健康を手に入れるのはもっと困難です。かなり強い武術家や武道家が病気に惑わされ、自己管理が杜撰で若くて命を落とす人もいます。健康に良い太極拳を問われれば、私は迷いことなく、無理のないように動いていくことをお勧めします。
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