第740話 太極者,無極而生
- 2017/08/24
- 01:51

これは、誰もが知っている王宗岳太極拳論の一句です。世界のネットでは諸説が乱立し、無極や太極を適当に説明しています。実際のところの無極と太極はどのような状態を表すのか、または我々の日常生活の中での太極修練での状態はどのような者でしょうか、体がどのような感覚で内面的な勁が出てくるのだろうかは多くの憶測があり、太極勁とは何かという問題の回答も様々です。例えば、一部の方は一瞬の相手を飛ばす爆発力のことを太極内勁だと説明していますが、実際のところではこのような回答がまったくありえないです。ではなければ、我々がこのように数十年もかけて無味乾燥な訓練をする意味がまったくないです。
私たちは人類の自重によって、各関節や各部分の実際にかかっている重さは当然のように違います。体の重さが違えば、一般的に申すと各部分の緊張度も当然違います。人間の体のこの状態はもはや、国籍も民族も、人種もまったく関係なく同様です。言い換えれば、この体の各部品をかかっている部位の自重から解放されれば、我々は誰もが今日の人類とまったく違う状態になります。これが、人体の太極と言います。
自重の度合と関係なく平均的な筋肉の解放から内勁を得、一定レベルの内力の運用へ到達すれば太極とすれば、体の緩みの状態がまったくばらばら状態で生涯を過ごす方の割合が圧倒的に多いです。わかりやすく言えば、一生涯無極状態ですね。体の正確な訓練、安定した性格へのこだわり、絶えなる人間力の養成、偏った理解を常に修正し続ければ、気の動きを感じるようになります。わたくしは16年ほどかかりました。太極は一人ひとりの自己責任で訓練する者です。教える人間はただ道を示すのみです。
逆に、世の中の一般の方々の体の状態は無極であります。私は動きを止めている時にはほとんど、無極状態になります。基本的に体をわずかに動けば、太極状態は始まります。更なる上級者はまったく動いていない時も常に太極状態を保つことができます。私見ですが、一般人の状態は無極状態になります。かなりの普通の人間の状態に過ぎません。世界各国で無極と名付けられている道場主は少しでも反省しませんか。無極は、太極とまったく関係ない状態であります。太極修練をされる外国人の方は少しでも中国語の勉強が必要です。日本語も英語も解釈できないことが沢山あります。お勧めします。
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