第741話 意による被害
- 2017/08/25
- 13:34

中国武術の中では、「意」という言葉による被害はかなり広がっていますが、これは太極の分野も同様です。
私も色々なところで「意」についての問い掛けを受けていますが、この答えはかなり困難です。一般的に、私は「意」を脳の一種の伝達として伝えています。
「意」の被害は色々なきっかけから来るものであり、武術と関係ないところでも脳の指令による空回りが武術の「意」の被害に似るものもかなり現れているようですが、この分野はかなり複雑で精神科や神経科の研究もあまり成果を得ていないのが事実です。
そもそも、人類の意識の伝達はかなり高度な状態でありながらも脳と人体が様々な原因でかなり弱く、意思の神経伝達で少しでも空回りや常識外れが生じれば、人体全体に異変が起きることは必至です。
まったく違う角度から考えてみましょう。昔の戦場で大砲や鉄砲がなく、人力と原始的な兵器で格闘していた頃では、兵士が懸命に相手と戦って、なんとか自分自身の命を守って生きることしか考えていない時、武術の「意」や用法などを考える余裕があるのでしょうか。
太極は、できる限り人と力で折衝しない体の状態の訓練ですが、これが上級状態になると、「以意行気」状態になります。これは、体がかなり自由で力まない状態が続き、拳法を練習している中では体の中に見えない流れが生まれ、これを数十年続ければ自然に自由にコントロールできるようになります。「以意行気」は脳の瞑想で体の中の内勁を引き起こすことではありません。
前の世紀の80年代の初頭、中国武術と多くの伝統文化を宣伝する自由が得られ、多くの人が適当に中国文化を説明するようになりました。非常に残念な話ですが、10年の文化革命で中国語の学習もままならない人がかなり多い中で、文化や太極の専門用語が説明されてきたのは事実です。
太極の「意」は数十年の訓練から来る自然状態です。脳の意思で無理して体の内面的な動きを支配するものではありません。
特に、精神的に苦しまれる方に自己暗示で脳の指令による体のコントロールは、その病状を進行させる可能性があります。やめましょう。
そして、中国語が国語ではない方々が中国文化を研究をされる際に色々な言語や歴史の勉強をなさることをお勧めいたします。私達の固定観念は言語や歪曲された歴史から来るものが多いです。人間の体は一つしかなく、それを最優先にいたわる事はすべての人間の責務です。自分自身の体を大切にしましょう。
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