第771話 修練か真似か
- 2017/09/24
- 00:41

丁度1980年代のなかばだと思いますが、中国や東南アジアで何故かB型肝炎が爆発的に流行り、いくつの国や地域で死人も出ていた記憶が残っています。まあ、当時の上海の各病院の医者は大忙しいで患者さんを対応し、中には医者がB型肝炎にかかってしまうケースもかなりありました。人々はたちまち恐怖に包まれ、皆の心理状態に合わせるかのように気候治療が急に人気が上がり、財閥もビジネスチャンスとして気功連盟を作るほどのブームが巻き起こしました。
私の叔母もマカオでB型肝炎に犯され、高い医療費を避けるために故郷の上海で治療することを決めました。養生のために彼女は毎日のように私と一緒に呉式太極拳の練習も頑張ってい他のですが、病魔の恐怖を和らげるために彼女も何故か、気功院へ通うようになりました。当時の馬岳梁先生はそれを反対していました。先生の反対理由はこうです。「我々、数十年をかけて、毎日のように修練を怠っていませんが、気功治療は中々できません」まあ、当時の気功の凄さですが、何も修練しなくても気が出るとか、我々はもう気功のくれんが必要がなくなったとかで、本当に一時期が魑魅魍魎状態でしたね。
後に私もとうとう、金庸小説を読むようになり、当時の偉い気功師の言葉は金庸小説の中で架空の表現に変わりないことがわかりました。はい、ただの真似です。しかし、金庸小説にほとんど興味がない方々はあのような簡単な嘘に騙されていましたね。本当に悲しいです。
世の中で真似することはこれ以上に素晴らしいことがないと思います。しかし、真似も人様の見える修行的な行動や見えぬ素晴らしい人間力に焦点を合わせるべきです。昨今の一部の中国制定太極拳のトップ選手は、引退になった途端に伝統太極流派に入門し、若い頃に青春と柔軟さで巨匠の内勁のような動きへの真似を反省し、時間をかけてなんとか内勁が使えるまでに更なる修練を敢行しています。
真似するものはしばらくすると消えてしまいます。修練を重ねることこそが私達の進行形を支えます。ともに頑張っていきましょう。
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