第774話 体内への納まり
- 2017/09/27
- 10:05

武術と言えば、体の色々な動きによるものとかなり違います。体操などは基本的に体がきれいに動いていればよいですが、武術は互いに動いている中で自分自身を有利にすることになります。当然、平和時代で武術の形を体操に違い形で演出することも当然のように納得いたします。
一般の武術だと、速さ、強度、相手の関節などの弱さへど攻めで成り立ちますが、太極は自分自身の動きと他者の動きが自分自身の体内で上手く納まる術です。
太極の套路の練習は自分自身の動きが体内に納まっていく練習であります。一部の日本武道の先生は太極の発勁を動きが体に治っていないことだと解釈していますが、今日の世界の発勁を拝見していると確かにほとんどがそうです。実際に、自分自身が動きがしっかりと体の中に納まっていれば、腰椎からの緊張から一気に体全体の緩みから来る発勁が本物です。私の周りにも呉式太極拳以外の中国武術の先生がこれをしっかりと行っているのを確認しております。
もちろん、自分自身の動きが体内にしっかりと納まっていれば、発勁してもしなくても結果が同様です。
そして、自分自身の動きと、他人からの抵抗を同時に自身の体の中に納まることはもっと難しいです。それができなければ、我々はきっと、推手の中で人にぶつかっていくのでしょう。しかし、これは、発勁とは言えません。
このように自身の動きと他人の動きを同時に体に納まることは至難の技であり、長い時間をかけて体の訓練をしなければなりません。そして、人間の個性と日々の行いの修正も必要です。これこそ、太極修練の本質的な部分です。ご参考になさってください。
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