新天方夜譚物語第8話 異端中の異端
- 2015/08/31
- 00:04
囲碁界の異端児である呉清源先生が約80年前に打たれた三三、星、天元の名局です↓
この新しいブログを毎回のように最後までお読みくださった方はきっと、今回の書き方が長編小説のように毎回の記事はなんだかの関連性で繋がっていることにお気づきでしょう。昨日のブログの最後に異端的な考えに触れており、本日は異端という言葉を皆様に語りたいと存じます。
そもそも、私の太極拳は日本ではまさに異端というべきでしょうね。
先日、研究会役員をお願いしている方より、新しいブログは太極拳にほとんど触れていないではないかと、そして、これはとても残念なことだとのご意見を頂きました。しかし、この異端児のわたくしは、実はこの新しいブログで更に深い太極勁修練の奥義を語りたく存じております。
まあ、確かに太極勁の太の字もなかなか見ないですが…
しかし、最上級の太極勁を修得するには、この「異端児」が申すように、人間力の向上と、この浮き世で傷まれた心を自ら癒していくことが一番深い秘伝です。
当然、どの分野に於いても同様です。どれ程の優れた専門知識や能力を保有しても、人間力が乏しいなら十分に発揮できるとは思えません。そして、世界を手に入れてもそのご本人が身も心もボロボロでしたら、その輝かしい実績はいかにも虚しいものと化していくことに違いないでしょう。
太極拳は内勁を大切にする芸術です。一定レベルの「仙風道骨」のような人間力や完全に近い状態の体がなければ、当然、最上級の勁を修得できるとは思えません。
このように一般の人間とかなり違う者が太極勁の修得が簡単そうなら、人と似たり寄ったりせずにして、自分なりに研究を重なっていけばきっと、それなりの収益があります。
太極拳家元の各流派では通常、一世代の中に優れた人間が一人、二人でれば最高です。一人も出ない流派もありますよ。
中国国内では、広場や公園で大師や巨匠、一代宗師が乱れ飛んでいます。その人達の話しを伺うと誰もがかなり強いみたいです。しかし、その太極拳を遠くからじっくりと拝見すれば、思わぬ腹の中で笑えてしまいます…当然、彼らの月謝はかなりの高額のようです。でも、昨今の中国では、よい太極拳の先生との出会いを真剣に考えるようになってきましたね。
そして、日本国はその国民性のように、どの分野も競争は激しいものの、はっきりした特色はあまり見られないです。大手量販店はMRを徹底していますが、お値段は対応できるのであれば、お店は特色にこだわる必要もないかもしれないですね。アジア人が固定概念への執着はどの国も固持していますが、日本国は一層、固定概念を重んじられている国であり、国家レベルのお墨付きや第一党の推薦、大聯盟などには基本的に弱いでしょう。
囲碁も太極勁も同じですが、誰がこの定式以外の新しい碁を打ってはならないと決められるのでしょうか。
しかし、真剣に長寿や使える武術としての太極拳を修得したいなら、沢山の選択肢を分別し、理論と実際の内勁実力や「虚、無、空」の境地を研究し続けている人間に任せるならきっと、それなりの収益が得られるのです。
金儲けのチャンスも商売の原則もあまりこだわらないなら、その人は当然、異端児でしょう。しかし、太極修練は元々、世間の様々な誘惑と一定の距離を保つことも大切です。
固定概念はただ、私達の足枷に過ぎません。もっと、自由に幸せに生きたいならば、固定概念を捨てるべきでしょう。
この新しいブログを毎回のように最後までお読みくださった方はきっと、今回の書き方が長編小説のように毎回の記事はなんだかの関連性で繋がっていることにお気づきでしょう。昨日のブログの最後に異端的な考えに触れており、本日は異端という言葉を皆様に語りたいと存じます。
そもそも、私の太極拳は日本ではまさに異端というべきでしょうね。
先日、研究会役員をお願いしている方より、新しいブログは太極拳にほとんど触れていないではないかと、そして、これはとても残念なことだとのご意見を頂きました。しかし、この異端児のわたくしは、実はこの新しいブログで更に深い太極勁修練の奥義を語りたく存じております。
まあ、確かに太極勁の太の字もなかなか見ないですが…
しかし、最上級の太極勁を修得するには、この「異端児」が申すように、人間力の向上と、この浮き世で傷まれた心を自ら癒していくことが一番深い秘伝です。
当然、どの分野に於いても同様です。どれ程の優れた専門知識や能力を保有しても、人間力が乏しいなら十分に発揮できるとは思えません。そして、世界を手に入れてもそのご本人が身も心もボロボロでしたら、その輝かしい実績はいかにも虚しいものと化していくことに違いないでしょう。
太極拳は内勁を大切にする芸術です。一定レベルの「仙風道骨」のような人間力や完全に近い状態の体がなければ、当然、最上級の勁を修得できるとは思えません。
このように一般の人間とかなり違う者が太極勁の修得が簡単そうなら、人と似たり寄ったりせずにして、自分なりに研究を重なっていけばきっと、それなりの収益があります。
太極拳家元の各流派では通常、一世代の中に優れた人間が一人、二人でれば最高です。一人も出ない流派もありますよ。
中国国内では、広場や公園で大師や巨匠、一代宗師が乱れ飛んでいます。その人達の話しを伺うと誰もがかなり強いみたいです。しかし、その太極拳を遠くからじっくりと拝見すれば、思わぬ腹の中で笑えてしまいます…当然、彼らの月謝はかなりの高額のようです。でも、昨今の中国では、よい太極拳の先生との出会いを真剣に考えるようになってきましたね。
そして、日本国はその国民性のように、どの分野も競争は激しいものの、はっきりした特色はあまり見られないです。大手量販店はMRを徹底していますが、お値段は対応できるのであれば、お店は特色にこだわる必要もないかもしれないですね。アジア人が固定概念への執着はどの国も固持していますが、日本国は一層、固定概念を重んじられている国であり、国家レベルのお墨付きや第一党の推薦、大聯盟などには基本的に弱いでしょう。
囲碁も太極勁も同じですが、誰がこの定式以外の新しい碁を打ってはならないと決められるのでしょうか。
しかし、真剣に長寿や使える武術としての太極拳を修得したいなら、沢山の選択肢を分別し、理論と実際の内勁実力や「虚、無、空」の境地を研究し続けている人間に任せるならきっと、それなりの収益が得られるのです。
金儲けのチャンスも商売の原則もあまりこだわらないなら、その人は当然、異端児でしょう。しかし、太極修練は元々、世間の様々な誘惑と一定の距離を保つことも大切です。
固定概念はただ、私達の足枷に過ぎません。もっと、自由に幸せに生きたいならば、固定概念を捨てるべきでしょう。
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