第824話 迥旋倚側、攢躍皆中
- 2017/11/22
- 10:40

今日の中国の若者でしたらおそらくこういう古めかしい文書を解釈できないだと思います。しかし、太極拳論やかつての太極に関する文書のほとんどはこのように書かれています。よって、今日の若者は真面目に太極を練習しようとも、この大きな妨げにはどうしてもぶつかっています。そして、本当にしゃしゃり出て申し訳なく思っていますが、中国語以外の言葉を使う諸外国のすべての「太極拳」組織はもっと謙遜になって中国語の研究をしなければ、太極拳教育における結果はもう私が申さなくてもよいです。
迥:下半身の回転を伴わない上半身のみの回転。
旋:上半身に連動されての下半身の回転。
倚側:左右に体を寄せること。
攢:筋力をできる限りに緩んだ状態での関節の歪曲による力の伝達の貯め。
躍:攢の状態から徐々に体が解放されていくこと。
皆中:いずれも中定を保つこと
おお、なんか、どれも簡単そうですね。はい、私も10代の頃もたかが中定ではないかとずっと思っていました。がしかし、私はこの年になって、自分自身の中定がまださだまっていない事で心配しています。太極のもっとも難しい中定は、一定レベルからの訓練が大変です。
ここからは自分自身が背負っている流派の紹介です。呉式太極拳の原理と推手の形ですが、いずれもすべての動作を完成まで設計されています。完成に近い動作の中での中定が必要です。こうなると、呉式太極拳の手合いや推手の練習では、完成に近い状態まで中定の低下で敗れることを恐れず、難しい状態の中定を徐々に習得できることを努めていくしかありません。わかりやすく言えば、負けていくことの中で中定を習得するのです。
立場によって、絶対に負けられない身分になって、いざという時は若い人とぶつけてでも勝ちにいくことは、自分自身の上達を妨げる行動になります。一定レベルまでの太極勁をなんとかなった人の上達が本当に難しいです。
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