第854話 練拳の仕組み
- 2017/12/22
- 11:54

かつての中国では、体を動かしながらの「練拳」という言葉をよく使います。しかし、今日では何故か、「練功」という言葉が流行っているようです。まあ、それもそうかもしれませんね。今日の中国では色々なわけがわからない套路が娯楽のように練習され、站桩などの本末転倒の体の訓練が当たり前に広がっています。当然、世界の中国武術もこのような傾向があります。昔では武人は毎朝に起きた途端に何もせずにまずは套路を通すようになりますが、そのかつての套路も今日では色々な歴史的な迫害と人間自身の堕落によって消え失せてしまい、「練拳」という言葉も当然使わなくなります。
そして、今日ではインターネットの流行もあって、我々はネットで色々な情報を手に入れるのが簡単になりました。世界では携帯端末一つで繋がり、色々な分野のデータもネットの発展で本物と偽物が入り混ざり、情報を求める側としては本当に困ります。ネットでは、何かの拳法が現れる時には必ずその拳法がどうやって人を倒すかを徹底的に説明していますが、本来、中国武術も日本武道も体の一つの状態を徹底的に訓練することで用法が自然に成り立つようになりますが、はっきり言って最初から用法を語っても体が武の状態になっていなければ、理解できることがあり得ません。かつての中国武術家が申す「拳打万遍」はそれなりの意味があります。
時は2000年も大分過ぎており、今日になって景気のよい国も景気の悪い国も、民の皆は本当に慌ただしく、ゆっくり娯楽を楽しむ者も大分減っているようですね。中国では武術離れが激しく、せっかくの休日ならば都会を離れて田舎で新鮮な空気を思い切り吸い、静けさの中で自分自身をリセットする者が増えております。実際、わたくしも同様にしております。確かに、近代人は毎日のように数時間も時間をかけて「練拳」することは簡単ではありません。わたくしの研究会では日常のお仕事がどんなにお忙しくても深夜1時からの「練拳」や、武術ではなく健康維持の為に毎日のように2回の「練拳」を四年も続けている方もおり、高速道路の休憩所でも「練拳」する者もいます。わたくしが感じていることですが、流石に日本国はお侍の国であり、武の仕組みは体とご先祖様の遺伝子によって、世界のどの国民よりも優れているはずです。
武術の仕組みは基本的に「練拳」によって初めて成り立ちます。単式だけ練習する方法もあれば、体の状態を一定の時間をかけてじっくりと練り上げる套路の練習もあります。長い経験から申すと、人間は一つの状態の中のバランスの訓練の実施によって、単式の凄さがやっと現れます。楊氏太極創始者は太極拳の中の「倒攆猴」で他派武術のすべての式を破ったとの言い伝えを得ておりますが、先代の祖先は当然のように「倒攆猴」だけを「練拳」していたわけではありません。祖先の者は深夜の12時から朝の6時まで「練拳」をしたこともありますが、先代の全佑が受けた太極拳の説明は用法ではなく、体の動き方と搭手の時の体の動きからのみであります。
武術は套路の動きの中でそれぞれの単式が一つのバランスが取れた動きの中での良さが引き出される全体の訓練になります。単式だけの訓練はそれぞれの単式のバランスと全体の繋がりが欠けます。スポーツのように体を鍛え上げることで戦うことを望む方は真の格闘技を手に入れることができません。もちろん、「練拳」の中でも動きがあっていなければ、武術としての練拳にはなりません。皆様の武術の進歩を心より願っています。
スポンサーサイト