第857話 イエズス キリストの誕生日
- 2017/12/25
- 09:39

テーマ通り、本日はクリスマスです。しかし、今日の日本や中国は何故かその前日を祝うようになります。いわゆる、イブのことですね。本当のところでは、宗教学でもイブを祝う説明があるようです。
キリスト教の説明では、イエズスの誕生日を記念して、イエズスが住民登録の日を西暦の元旦を制定しました。一週間後の元旦は2019年経った記念の日です。西暦は覚えやすいこともあって、今日では世界のほとんどの国で使われています。
逆に、旧暦は中国の道教から来るものであって、天地の陰陽バランスは365日で一周期ではないと提唱し、毎年が違う元旦が来ることになります。近代社会としてはこのような面倒臭いことはないだろうと実際、今日の世界では旧暦で動く行政はほとんどありません。物好きな中国人の新年も一種の伝統行事に過ぎないですね。
当然、イエズス キリストが生まれた頃ではまだ、西暦が制定されていません。一説によると当時の世界では中国の時間で一日を十二の「時辰」で計算していたようです。キリストが生まれたのが丁度、「子時」でしたので、陰はもっとも強い時です。
そして、わたくしの記憶が間違っていなければ、2019年前の今日は丁度、中国農暦の冬至でした。
冬至は道教の一年の計算の中で、1年間の中にもっとも陰が強い日であり、その日を境に天候は徐々に春へと向かっていく温暖の切り替えの日です。
一方、救世主として生まれたキリストは丁度、一年中にもっとも陰が強い日と、一日にもっとも陰が強い「子時」に生まれたこともあって、古代の預言者が言っていた必ずメシアが現れて、暗黒の時代から希望の時代へと変わるようになることにもピッタリです。
先日、わたくしが久し振りに感動した作曲家の酒井 多賀志先生の新作の「一陽来復」ですが、東洋の冬至という季節に西洋のグレゴリアンが混ざっていて、これはどれほどに東洋と西洋、そして何よりも道教の研究をしっかりとされた作品だと感じております。
今日になって、アジアで生まれたイエズス キリストを救世主とする宗教が何故か西洋中心の行政になっていますが、これに関してはわたくしがなんとなく違和感を覚えています。しかも、クリスマスが西暦で祝うようになっていて、やがてのキリストの復活という日は何故か毎年違い、どうしても中国の旧暦で計算をしなければならないことからすると、カトリック教会自体がかなり中途半端の体制になっていることのような気がします。
そして、キリストの名言、「For when I am weak, then I am strong.」は何故か道教思想にかなり似ています。
中国の伏犠時代から道教が始まったと考えられています。世界でこれほどに哲理にあった森羅万象的な哲学はないと感じております。
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