第859話 過去の生活
- 2017/12/27
- 01:05

わたくしはいつも、年末になると過去の生活を思い出すことがありますが、これは、現在の生活への不満を少しでも軽減できることを見込んでいるからです。これを決めたのは太極拳を学びはじめる一年前の夏、当時の学校では小学校二年の時から子供に農業を学ばせることになっており、わたくしは一応、小さな街の戸籍であり、毎月の食料配給対象にもなっていましたが、父の投獄もあって私もやがては街の戸籍を失って、農民になることが避けられない運命になっていました。当然、当時では無産階級文化革命を世の終わり迄続くとのスローガンが掲げられていた為、私が生活への不安は何故かピークに達していました。
実際、私は今まで蛇が大の苦手であの頃の夏の農業を学ぶ授業はいつものように全身の神経が張詰めていました。当然、街の生活になれていた我々は農作業なんかできる訳がなく、学校の先生も適当に我々に作業をさせていたことは記憶に残っています。あの頃、私は自分自身にこれ以上の苦しい生活が絶対にないと、本当に年齢にまったく相応しくないことを何度も自分自身に言い聞かせ、今後、どれ程の苦しいことや順調ではないことがあってもあの頃のことを思い出せばきっと、対したことではないだろうと、子供の癖に何故か歪んだ大人のような振りをしていましたね。
あれから一年後、わたくしは馬岳梁先生に出会い、父親と祖父が不在の私にとっては人生の中ではじめての親のような存在の男性が現れました。先生は太極のみならず、大人としての人間的な基本も多いに教わっていました。その後、中国の生活は徐々に回復し私が太極拳を3年間の基本訓練を終えたところでは、中国の改革解放もはじまり、上海などの大都会の生活は徐々に改善されていたところ、わたくしは来日を決心したのです。当然、私がその間に太極と出会ったことで私の今日に至る迄の生活様式を定め、上級者太極勁はかなりの練習時間がかかることもあって、わたくしはあまり娯楽がなくても普通に過ごせる若者離れの性格があの頃から徐々に形成しはじめています。何故かあの頃からは、かつての農業を学ぶ授業のような大変な生活はもう有り得ないだろうと思うようになりましたが、あの頃の誰もが憧れの中国脱出を我が人生第一の目標に設定したところでは、私も多くの中国脱出者のようにもう一度どん底の生活に身を投じる覚悟をしてしまいました。
まあ、確かに見事に、来日して日本語学校から大学中退までは、昼も夜も働き、当時の中国人の平均給料は日本人平均の十分の一に過ぎず、わたくしの親も祖母も私に留学の学費や生活費の負担が不可能。ならば、可能な限りのアルバイトを来る日も来る日も続けていくしかありません。はい、やはり、その時の気持ちは農業を学ぶ時よりも低迷していましたね。このような留学生活は今日の親の仕送りで留学費用が賄ってしまう留学生の誰もが理解できなく、我々の若い頃の中国の国力の弱さは今日の若い日本人も理解できないものでしょう。中国語の熟語では「生不逢時」(景気が良い年に生まれていないこと)と言う言葉がありますが、我々は最も安定した中国の生活も日本の生活も、どちらも経験していません。
しかし、我々は今日はかつての留学生のような生活は誰もが脱出しております。年と共に、我々の誰もが若い頃の奮闘するパワーがなくなってきて、何事も怠けるようになるのも仕方がないようですが、人生で一番低迷の状況を思い出すと私達はきっと、どのような困難も乗り越えていくようになります。
人間は過去を振り向く必要があります。
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