第918話 欲張りから緩みへ
- 2018/02/23
- 09:54

はっきり言って、欲張りがなければ、一定の主張がなければ、手合いの中で勝つことはかなり難しいです。
しかし、太極の理想と言えば、まったく欲張らないことですが、当然、人類である以上、この状態にはおそらく、誰もが到達できない境地であります。かつて、一人の太極家がこのよいうに話したことがあります。
「太極は永遠に到達できない目標をひたすら追い求める修練である。」
話しは違いますが、当研究会の木曜日教室は、平日とのこともあって、弟子の数人と熱心な一般会員の一部による少人数のレッスンになっております。教室では弟子同士や会員同士では手合いである太極推手練習では互いにかなり丁寧に行うことになりますが、わたくしに向かっては何故か全力で来たり、私が教えていた色々な手法で来たり、以前に練習していた武術や武道だったり、兼ねて練習している武術だったり・・・
まあ、おかげさまで、私もなんとなく太極推手で応対しております。
会員が少しでも進歩になる為に、積極的に「喂勁」を行っております。まあ、譲り過ぎていれば、私がやられることも・・・
研究会はもう少しで5年になります。呉式太極拳を5年も真面目に練習をしていれば、手の感覚がかなりよくなる者は数人おりますね。
欲張ってはならないと、率直に感じている者もおります。喜ばしいことですね。
理想からすると、太極修練は欲張りから体全体の緩みで相手の動きに上手く入ってゆくことになります。
しかし、このような体の緩みで相手に向かっていくことがどれほどに実現できないことだろうかは、多くの先人の太極拳家が色々な著書で語られています。
ところで、私がこのように語ることで、もしかして多くの方が太極拳に対して恐怖になることも想像できますが、実際、太極はそんなに難しいことではありません。
太極はけっこう簡単ですが、ただ、毎日のように続くことが近代人にとってはあまり簡単ではないですね。勿論、正しい練習も必要です。
我々の色々な欲張りを捨て、体の緩みへ近づく練習法になっていれば、流派も関係ないと思います。
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