第921話 矛盾論と弁証法
- 2018/02/27
- 09:59

世の中で矛盾論と言ったら中国の道教哲学が大本のはずですが、弁証法は西洋哲学からの理論であり、共産主義もかなり提唱しているはずです。
人類社会はすべて矛盾論で成り立っていることはどの分野も変わらないですが、弁証となると人間は自分自身の必要に合わせて、いくらでも変えることげ可能です。太極門の責任者の一人として、わたくしは可能な限り世界中の色々なネット発信をチェックしております。はっきり申すとしておきますの都合で屁理屈を適当に並ばせているお宅武術家は本当に多いですね。
我々は、自分自身の理論を正当化させる際は、世のすべての出来事や物事の両面性を認め、結果に近付く状態とそうではない状態を同時に分析しなければなりません。太極拳を教える者は特にこうです。どのような妥協だったら体が丁度自然に力まずに動けるのか、どのようなオーバーした妥協が先天を赤裸々に助長してしまうのかを分析することが我が仕事です。太極を教える者の誰もがこのように学習していくべきです。
人間の日常に慣れている動きで体を動かすことは、太極専門用語で申すと「先天」ですが、非日常的な動きと人間の本来にあるべき能力に徹底的に逆らう能力が「後天」です。これが太極修練の中の矛盾論です。これはおそらく、永遠に解決できない矛盾であり、太極修練が変えようとするのは人類が数百万年で形成している現在の体の内外のすべてです。人間は見えるところを変えることはまだある程度できるのですが、内面的な状態を変えるのは遺伝から来る状態も含まれているので、更なる難度が予想できます。
太極は、自分自身の現在の体の状態がどうなっているかを知っておく必要があります。そして太極思想である「無為無争」の生活様式が望まれます。北海道中国武術倶楽部が提唱している「太極拳がある生活」というスローガンはこれに近いと思います。
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