第974話 舉步輕靈神內斂、莫教斷續一氣研
- 2018/04/21
- 00:18

清朝乾隆帝が大の武術好きであり、色々な武術家とお付き合いがあったと言い伝えられています。日本国ではあまり知られていない「乾隆抄本」は、乾隆帝が所蔵している多くの武術秘伝の中の一つとして知られています。
舉步輕靈神內斂:太極は武術の一つとして研究され、人と衝突した途端には基本的に先に間合いを最優先に考えています。当然、太極拳はしっかりした立ち方は一つもありません。呉式太極拳では弓歩と虚歩の重心は基本的に十ゼロですが、これは推手の練習でも同様です。今日に至るまで、呉式太極拳の本部の鑑泉社で数十年の推手を練習した者も両足の縦幅が大きく、横幅をほとんど取らない人がかなりいましたね。呉英華先生と馬岳梁先生はこのような重心の取り方を何度か注意したら、もうこれ以上には何も言わない教え方をしています。推手の時の歩幅は十三勢のすべてです。

私の今日の研究会では、日本社会に今までないような学習を工夫しており、皆様にはいつでも忘れてよいと申しております。これは、今日の社会ではあまりにも多くのストレスが我々の体を蝕んでいて、研究会でさらなるストレスを重なっていくことは個人的に非常に嫌ですね。
たったの両足の横幅ですので、そうすると私の研究会ではご年配の方も簡単にできています。このように、両足の幅を大きくして、人間の通常のしっかりした重心の取り方が無くなります。
逆に、しっかり立っている状態では下半身の移動が出遅か、なんとか速く進む為に筋力での進退は、十三勢の形成の最も大きな妨げになります。推手をしていたら上半身だけが前後するようになれば、太極推手も他の武道武術も簡単にさばけてしまいます。
そして、人間の体では少しでも足を力んで立つようになると、上半身と下半身の連絡が悪くなり、手だけで相手の動きに対応しようとします。まあ、手だけで「捨己従人」を執り行うような推手は十三勢に到達できるわけではありません。
莫教斷續一氣研:体のどの部分も力んでいない状態では当然、体はあまり動けないです。人間は一定の筋力がないと動けないはずです。しかし、太極拳は人間の緩みから来る一種の体の動きから、徐々に内面的な動きで自分自身の体を動かす状態になります。
体の動きに徐々に断点が少なくなれば、体全体がかなり調和された動きになります。初歩的な勁路ではよく「ポン勁」として解釈されていますが、上級になると、「鼓蕩」として解釈されます。
これ以上は教室でお話しします。
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