第983話 授受関係
- 2018/04/30
- 11:33

私は現在、年間の少ない連休に入っていますが、奇しくも、連休に入る前日に明日は練習に行くとの連絡が人りの弟子よりメールがあって、慌ててすぐに電話をかけて、連休のことをもう一度説明したところ、互いに笑ってしまい、また、連休明けに練習をしましょうと、もちろん、連休中はそれぞれの練習は続くと確信しております。そして、昨日になっても、もう人りの弟子が今からレッスンへ行くと告げられましたが、まあ、同様に電話をして、笑って、少し会話をして、また、連休明けという感じで電話を切りました。
考えてみるとこの二人は本当によく練習する者ですね。もはや、連休は関係ないという感じでしょうね。私はかなり嬉しくなりました。馬岳梁師公曰く:「太極は難しくありませんよ。もしも、どうしても難しいと言ったら、続けることが近代人にとってはかなり難しいのではないかと思います。」
連休中、私は日々の練習の他に、当研究会員さんにお約束した呉式太極拳の「太極拳講義」の和訳も仕上げなければなりません。意外と忙しい日々を過ごしております。ブログも一千回に近付き、書く難度も徐々に増えて参りました。
幸い、多くの方が誤字脱字や変換ミスなどをご指摘頂き、まことに感謝いたしております。
本日は、封建社会の中での太極門の中での子弟関係を少し皆様と分かち合いたいと思います。もちろん、現在のわたくしの研究会では、このような人間関係ではありません。しかし、太極拳本来の教え方を研究すると、太極はどのようなものかが少しわかりやすくなる気がして、皆様に公開したく存じます。
これは、以前にも書かせていただいたことがありますが、多少の説明不足もあって、今回はもっと詳しく書きたいと存じます。

封建社会の太極門では、弟子をこのように分析して教えていました。
太極拳を練習する者は、それぞれの性格の異なりによって、その功夫が到達できるレベルも違います。例え、同じ師匠に師事をしても、太極拳理論に対する理解や太極拳基本拳法の姿勢、推手の時の応用の方法などもそれぞれ違います。故に、教える者は人を見て教え、学ぶ者も自分自身の長所を生かして学ぶべきです。
人間の性格はおよそ剛と柔の2種類で分かれています。剛の者はセッカチで激しいです。剛の上の者は強さが象徴で、剛の下の者は暴力的なイメージがあります。柔の者は温厚で人に従いやすいです。柔の上の者は心身とも調和されて、人情に厚く慎しみ深いです。柔の下の者は意志が弱く、向上する努力をしません。
剛の上の者は勝ちたがり、人の下では納得出来ず、学ぶのも剛の技が多いです。剛の下の者は暴烈で向こう見ずであり、学ぶのも凶暴な技が多いです。柔の上の者は平和を好み、学ぶのも柔和な技になります。柔の下の者は意志が弱く、大体を知るだけで満足して深い理解を求めようとしません。
柔の上の者は太極拳を学べば、功夫が上がりやすいです。剛の下の者は太極拳の慢と力を使わないことをだらけていると誤解しやすいです。実は、慢と力を使わないことは太極拳功夫を錬える要旨であります。太極の訓練は、鋼を煉るに例えられています。鋳鉄から軟鉄、軟鉄から鋼、これは長い間の火の鍛錬出ないと精品は出来てこないのです。
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